『バチェラー4』秋倉諒子さんがトレーニングで手に入れた揺らがない“自分軸”とは?恋愛でも「自立」が長く一緒にいる秘訣
今回のゲストは、恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4(以下:『バチェラー4』)に参加し、4代目バチェラー・黄皓さんのハートを射止めた秋倉諒子さん。番組内では、まっすぐに気持ちを伝えていく姿勢や軸のある考え方、明るいキャラクターで、多くの視聴者の支持を集めました。一方、トレーナーという天職に出合いつつも、20代後半になって「仕事も恋愛もうまくいかない」と感じていた秋倉さん。では、どのようにしてその苦しい時期を乗り越えて来られたのでしょうか。 そして『バチェラー4』に参加して変化した結婚観や、今の恋愛で重視していること、パートナーとの関係性などについてもお話いただきました。
将来について悩むなかで出合った「パーソナルトレーナー」という天職
――現在、ジムのパーソナルトレーナーや女優、モデル業など幅広いお仕事をされている秋倉さんですが、10代の頃は将来の夢や目標はあったのでしょうか?
秋倉諒子:子どもの頃からバリバリ働く母を見ていたので、「働く」という選択肢はずっと自分のなかにありました。でも、具体的に何をしたいのかわからない状態がずっと続いていましたね。それでも、良い大学に入るために勉強や部活には力を入れて取り組んでいたんです。当時両親からは、「看護師がいいわよ」と言われていたのを覚えています。でも、進路選びで大事な時期に、急に反抗期が来てしまいました(笑)。高校3年の夏頃、大学の下見に行ったあとくらいに「もう勉強したくない!」と気持ちが爆発しちゃったんです。
――急にですか!?
秋倉諒子:それまでは「真面目すぎる」というか、「こうしなければいけない」といった思考が強くて、勉強も部活も自分のキャパシティを超えてがんばってしまっていました。そこで、もうちょっと力を抜くことを覚えた方がいいと当時の自分なりに考えたんでしょうね。そしてこのままやりたいこともない状態で大学に入って4年間を過ごすより手に職をつけたかったので、卒業後はヘアメイクの専門学校に行くことにしました。ミュージカルの『キャッツ』に感動して、そういったモノづくりに関わりたいという気持ちが強かったのも理由の一つです。
――そこからパーソナルトレーナーになったのには、どういう経緯があったんですか?
秋倉諒子:通っていたジムのトレーナーの方に声をかけていただいたのがきっかけです。パーソナルトレーナーになる前は、ヘアメイク関連で働きながら芸能活動を始めていました。まわりに芸能活動をしている友達もいたので、最初は「楽しそうだな」くらいの軽い気持ちでしたね。でも、オーディションを受けて落ちたり、逆に急に仕事が入ったりと、働き方が不安定で…。「安定した仕事をしないとな」という思いがいつもどこかにあって、悩んでいた時期だったんです。
――ちょうど良いタイミングだったんですね。始めてみていかがでしたか?
秋倉諒子:もともと体を動かすのは好きなので、パーソナルトレーナーとして働き始めてすぐに「天職かも!」と思いました。お客さまと一緒に悩みを解決して、その方がちょっとでも前向きになったり喜んでくれたりすることが、すごくうれしかったんです。ずっとスポーツをやっていたので、体の動かし方を覚えるのは早かったですし、普段からテンションが高くて明るい性格なので、合っていたのかもしれません。
――しっくりくる仕事に出合えたんですね。
秋倉諒子:そうですね。人の体にはまだ解明されていない部分も多いのですが、ちょっとした運動やケアで痛みや歪みが改善したときに、「体ってこんなに変わるんだ、おもしろい」と感じるんです。それに、体を整えるお手伝いをして人に喜ばれるパーソナルトレーナーは、素敵な仕事だなと思います。
――当時、「こういう人になりたい」と思う、ロールモデルのような方はいらっしゃいましたか?
秋倉諒子:パーソナルトレーナーの岡部友さんですね。その頃、トレーナーという自分に合う仕事に就けたものの、仕事面でも恋愛面でもウジウジ悩んでいたんです。トレーナーも芸能活動もやっているけれど、うまくいっている実感がない。さらに、30歳手前になって「そろそろ結婚したいのに、仕事も恋愛も思い描いていたのと違う…」という理想と現実とのギャップを感じていました。どうしたらこの悪循環から抜け出せるんだろうと、くすぶっていたんです。そこで、前から大好きだった岡部さんに会いに行って、アドバイスをもらいました。私自身、パーソナルトレーナーである岡部さんに出会って変われた部分が大きいわけです。
――岡部さんからはどんなアドバイスをもらったのですか?
秋倉諒子:まずは、「誰かを目指すな」ということです。ほかの誰かを目指してもその人にはなれませんし、自分の軸をもって生きないといけないことに気づきました。次に、「自立女子になるべき」だということです。具体的には、まずはちゃんと仕事をして自分自身が輝くこと、恋人はいてもいなくてもいいけれど「いた方が幸せだから一緒にいる」という考え方をするべきだと教えられました。岡部さんご自身もいろいろ悩んで経験を重ねてきた方なので、言葉が心に刺さるんです。
――すばらしい教えです。秋倉さんはそれから考え方や行動を変えられたんですね。
秋倉諒子:でも最初は、頭では理解できても、すぐには実践できませんでした。そこで、トレーニングと並行して思考を変えていく努力をしたら、時間はかかりましたが、少しずつマインドも変えられたような気がしています。
『バチェラー4』には「行きたい!」という直感で飛び込んだ
――いわゆる“ハイスぺ”の独身男性の恋人の座をかけて女性たちが争う恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』の旅に参加されたのは、かなり勇気のいる決断だったと思います。参加されたきっかけを教えてください。
秋倉諒子:参加者を募集していると聞いたとき、「行きたい!」「これは行かなければ!」という直感が働きました。
私、こういう勇気はすごくあるタイプで(笑)。いろいろなことがうまくいかなくてもがいていたときも、いつも何かしらの挑戦はし続けていたんです。でも、当時は「あれもこれもうまくいかない」と悩んでいた時期だったので、切り替えるためにも参加を決めました。
――すごい勇気ですね!『バチェラー4』のことはご存じだったのですか?
秋倉諒子:実はそれまであまり知らなくて、番組を観たこともなかったんです。でも実際に観てみたらおもしろくて、当時3年間くらい彼氏がいなかったこともあり、「素敵な男性に出会えるチャンスなんじゃないか」と思いました。反対する周りの人を説得して、「私、結婚してきます!」くらいの勢いで参加を決めたんです。
――小さい頃から新しい環境に自ら飛び込んでいけるタイプの性格だったんですか?
秋倉諒子:いえ、かなり考えるタイプなんですよ。石橋を叩きすぎて割ってしまうくらいの慎重派です(笑)。でも叩き割る前に好奇心を刺激されて「今、行かなければ!」と思えるものだと、考える前に行動しちゃいます。人生には、そういう勢いで決断することが必要なタイミングもあると思っているんです。
たとえば学生時代には、留学に行くと決めて1か月経たないうちに出発したこともありました。決めたら早いんです(笑)。そんな感じで実行した留学や『バチェラー4』でしたが、今振り返るとその決断に後悔などはなくて、「行ってよかった」と良いようにしか思わないんですよ。だから、タイミングが来たら即行動するべきだと思っていますね。
――ついつい“できない理由”を考えて止まってしまう人も多いと思います。
秋倉諒子:その気持ちもすごくわかるんです。でも、好奇心が慎重さに勝つときに限っては、できない理由を探すよりも「現状から脱却したい」という気持ちの方が強いので、どんなハードルがあっても「行きたい」としか思わないんですよ。「行ってみてダメだったら仕方ないか」くらいの感じで、行動してみるんです。
――実際に『バチェラー4』で旅を始めてみて、ご自身の意識に変化はありましたか?
秋倉諒子:参加者のなかには今まで出会ったことがないタイプの女の子たちもいたので、最初、特殊な場所に来ちゃったなとは思いました(笑)。ただ、今までにないくらい一人の時間が作れたので、自分を見つめ直す良い機会になった気がしています。そのおかげで、「みんな素敵だけど、私も素敵だし(笑)」「それぞれの良さでがんばったらいいじゃん」という気持ちでいられました。ほかの人との比較でなく、「自分はどういう人間なのか」「どう思っているのか」「どうなっていきたいのか」といったことを、深く知ることができましたね。
――自分のなかでイメージする将来像に変化はありましたか?
秋倉諒子:ありました。自分をよく知れたことで、精神的に安定して仕事に取り組めるようになったんです。今でも相談などを聞いてサポートしてくれた番組のスタッフさんたちには、すごく感謝しています。あと、インタビューなどの仕事の依頼を受けるようになって、自分の考えを言葉にする機会が増えたこともあり、気持ちを整理する習慣がつきました。そのおかげで、自分のしたいことやそのために取るべき行動など、先を見て動けるようになったように思います。
――結婚に対するイメージも変わりましたか?
秋倉諒子:自分のなかで、結婚ってすごく漠然としていたんです。両親を見て育ってきたから、幸せな結婚が当たり前で「結婚=幸せ」だと思っていました。相手のことより、結婚したら幸せになれるという漠然とした「理想」というか「妄想」のようなものを見ていたんだと思います。『バチェラー4』を通して、彼(黄皓さん)とどう生きていきたいのか、今自分がいる場所から地続きで考えられるようになりました。
パートナーとはお互い自立したうえで助け合える関係でいたい
――現在、パートナーとなった黄皓さんとはどのような関係ですか?
秋倉諒子:彼もよく言ってるんですけど、お互いに「もう彼(彼女)がいないと生きていけない」みたいな感じです(笑)。でもそれは依存ではなくて、それぞれ自立したうえで助け合っている、という感覚なんですよね。ただ相手にしがみついているわけではなく、それぞれもっている夢や目標があるし、仕事・プライベートでも大事にしている居場所がある。なんか、そういう関係性がいいなと思っています。
――それは、今までの恋愛とはちがう感覚なのでしょうか。
秋倉諒子:「お互いに自立しているからこそ、一緒にいられる」というのは、彼と出会って気づけたことかもしれないですね。自立できていないと、相手にすがったり、寄りかかったりしてしまうじゃないですか。今は「一緒にいないときも楽しい、でも一緒にいたらもっと楽しい」と思えています。
――それは素敵ですね。秋倉さんが考える理想の家庭像も教えてください。
秋倉諒子:自分の実家のような温かい家庭が理想です。父母からだけでなく、おじいちゃんおばあちゃんからも深く大切にしてもらった記憶しかありません。子どもがいても夫婦の時間は大事にしたい。「パパが一番だよ」と言い続けられるくらいの、ラブラブな状態をずっと続けられたらいいですよね。ケンカしてもすぐ仲直りできるような、ハッピーな感じがいいな(笑)。
――もしお子さんがいたとしたら、どんなことをしてあげたいですか?
秋倉諒子:私は両親から「やりたいことは何でもやりなさい」と言われていたので、自分の子どもにも同じことを言ってあげたいと思います。
私の母は、しつけという意味ではすごく厳しい人でしたが、両親の教育方針はすごくフリーだったんですよね。「決定権は自分にある、その責任を取るのも自分」といった感じです。ここまで自由だと、逆に悪いことができないんですよ(笑)。本当に自由だったので、彼とも相談しつつ、自分の子どもへはもうちょっと具体的な提案をしてあげたいですかね(笑)。
ソナミラ株式会社 金融商品仲介業者 関東財務局長(金仲)第 1010号