ヒロシさん、暗黒のホスト時代「時給の計算ばかりしてた」逃げ続けてたどり着いた〝居心地の良い場所〟
自虐ネタで大ブレイク後、近年は1人で楽しむ「ソロキャンプ」の様子をYouTubeなどで発信し「キャンプ芸人」としての確固たる地位を築いたヒロシさん。
壮絶なホスト生活から芸人としての大ブレイクまで、天国と地獄を経験したヒロシさんが考える「お金の価値」、そして「使い方」とは。また生きづらい状況を離れ、ステージを変えても発信を続けられた理由とは。
信念をつらぬき、自分らしい人生やライフスタイルを手に入れる方法を、これまでの経験を基にお話いただきました。
「もうどうなってもいい!」と飛び込んだ芸人の世界
――ヒロシさんはなぜ芸人になりたいと思われたんですか?
ヒロシ:僕が小学生の頃、漫才ブームの真っ只中でした。漫才コンビの「ツービート」を見て漫才師に憧れ、「芸人」を職業として見るようになりましたね。
――最初は漫才師を目指していらしたんですね。
ヒロシ:そうなんです。でも、何か知らないけど、こんなふうになっちゃった。
――芸人が「憧れ」から「職業」になったきっかけはなんだったのでしょうか。
ヒロシ:僕は普通の人だし田舎だから情報もないしで、どうやって芸人になったらいいのか、ずっとわからなかったんです。だから、なんとなく高校と大学に行って、なんとなく就職しました。保険会社の営業だったんですけど、人見知りが出てしまって。仕事に行こうとすると頭が痛くなって、「もう無理だ。どうなってもいいから、芸人をやるしかない」と思い、福岡の吉本興業がやっている番組のオーディションを受けました。
――そのときはコンビだったんですか?
ヒロシ:当時は1人だったので、事務所に入って相方を探しました。コンビを組んだり、トリオでやったり、ピンになったり、コンビに戻ったりしながら活動しましたが、「福岡にいても売れない」と感じて上京しました。しばらくして相方が芸人を辞めて、また1人になっちゃって。
――苦難の日々があったんですね。当時はどんな芸人さんを目標にされていたんですか?
ヒロシ:お笑いコンビの「ダウンタウン」が目標でした。コンビで冠番組をもつのが夢でしたね。僕は19歳くらいから、そんな夢ややりたいことを全部紙に書くようにしていたんです。「『オールナイトニッポン』に出る」とか「『笑っていいとも!』に出る」とか。だいたい叶えているのですが、コンビで冠番組をもつという夢はまだですね。
――でも、今はお1人で冠番組をもっていらっしゃいますよね。
ヒロシ:不思議ですよ。お笑いをやってるときは何もなかったのに、キャンプや旅では冠番組をもってるんだから…わからんもんですよね。
人見知りなのにホストに…辛い経験を取り返そうと考えついたネタで大ブレイク!
――上京してからブレイクするまでは苦労されたようですが、一番辛かったことはなんですか?
ヒロシ:圧倒的にお金はなかったのですが、芸人をしているときはそれも苦痛ではなかったんです。でも、相方が芸人を辞めてから、一時期ホストをやっていて。そこが完全歩合制で指名を取らなきゃ1円ももらえなかったので、しんどかったですね。ホストをさぼって牛丼を食べながら、牛丼屋のバイトの時給を見て、「ホストをしている時間にここでバイトをしたらいくらもらえるか」という計算ばかりしてました。
――そんな厳しい時期があったんですね。では、人見知りなのになぜホストの仕事を選ばれたのでしょうか。
ヒロシ:自分でも本当に意味がわからなくて。なぜかいつも全然向いてない方に行っちゃうんです。基本的にはすごくネガティブな性格なんだけど、大きな決断をするときは大胆でポジティブになっちゃうんですよね。
――芸人という職業を選ぶのも、大胆で勇気のいることですよね。
ヒロシ:芸人なんて売れるわけないのに、それで売れてやろうと思ってるわけですからね。ホストだって、僕はお酒も飲めないし、人と話すのも軽いノリもすごく苦手で、コールでも「フワッフワッ」とか絶対に言いたくない。でも、儲かりそうだし、女の人にモテると思って飛び込んじゃったんです。
――想像以上にシンプルな理由ですね(笑)。そんな暗黒のホスト時代を経て、また芸人に戻られたと。
ヒロシ:ホストが辛すぎて、いったん九州の実家に帰りました。でも結構キツい思いをして生きてきたから、芸人として売れないと、今まで苦労してきた分を取り返せないと思ったんですよね。悔しい気持ちを燃料に、ほかにやることもないので実家でずっとネタを考えてました。
――そこで「ヒロシです」のネタを思いつかれたんですね。このネタはすごい発明だと思います!
ヒロシ:ありがとうございます。確かに発明だと思うんですけど、このネタはたくさん作るのが大変だし、一言で笑わせなきゃいけないし、かなり頭を使うんです。でもそのことに気づいたときにはすでに売れていて、あとに引けなくなっていました。
憧れ続けたテレビの世界へ…しかし、理想と現実のギャップに限界を感じて
――「ブレイクしたな」と実感したことはなんだったのでしょうか。
ヒロシ:お笑いの給料で初めて30万円を超えたときに「キターー!」と思いました。すごく嬉しかったんですけど、これをしばらく続けないと、今まで辛かった人生の元が取れないじゃないですか。
――でも、最高月収4,000万円というお話もありましたよね。
ヒロシ:それだけ聞くとすごいと思えますけど、冷静に考えてみてください。僕と同級生で大学卒業してサラリーマンとして働いている人なんて、トータルで考えたら俺よりも全然稼いでいるわけですよ。これは取り返さないといかんと思って、ずっと計算してましたもん。もらった給料を足して、社会人になってからの年数で割って。「これじゃあ、まだ時給650円じゃねえか」とか。
――また時給の計算を…。
ヒロシ:そうですよ。世間の「普通」を超えてからがようやくスタート地点だと思ってましたから。変な話、プラスになったのは最近なんじゃないのかなと思ってますね。
――ブレイクしてお金の使い方は変わりましたか?
ヒロシ:いや、それが結局、変わらないんです。話のタネに外車を買って、良いマンションに引っ越したんですけど、それくらいですね。友達もいないし、お酒も飲まないし、ずっと仕事だから使う暇もないし。
――憧れていたテレビの世界で活躍されるようになったわけですが、理想と現実のギャップみたいなものも感じられたのでしょうか。
ヒロシ:単純にテレビで売れたらモテるだろうって思っていたんです。でも、お金の問題が解消されても、「モテたい」って願望は全然叶わなかったですね。
――芸人さんはモテるイメージがありますが。
ヒロシ:友達がいる人はコンパに行ったりするからモテるけど、僕は接点がないから呼ばれないんです。それでも何回かは行ったけど、なんか息苦しくて。ほかにも、六本木の“ザ・芸能人”みたいなパーティーにも参加しました。でも、「ああ、無理だ」「俺には向いてない」と思いましたね。
――テレビでのご自身の活躍については満足されていたのでしょうか。
ヒロシ:できる限りのネタは作ったつもりでいます。けど、ひな壇とかエピソードトークができなくて。人見知りで楽屋でもできないんだから、本番でしゃべれるわけがないんですよ。
――それでテレビに出るのは辞めようと思ったんですか?
ヒロシ:テレビで求められることはできないなと気づきました。ネタにも限界を感じていたので、もう無理だな、と思いましたね。だって、テレビ局に行くのが嫌で仕方がなかったんです。
――あんなに出たかったのに!
ヒロシ:大きい番組が決まると、1週間前から憂鬱になるんですよ。具合が悪くなることもありました。前日になったら、不安で不安で寝られないっていう状態だったので、もうもたないと思いましたね。
――また大胆な決断をされましたよね。
ヒロシ:そうですよね、おかしいんですよ。苦労して、やっと売れたのにね。でもそのときには「自由になりたい!」としか考えられなくなっていました。
嫌なところから逃げ続けたからこそたどり着けた居心地の良い場所
――そこからキャンプ動画で再ブレイクするまで少し期間が空くわけですが、なぜ次はキャンプだったのでしょうか。
ヒロシ:キャンプは小学生の頃から普通に好きだったんです。思春期になったらバンドとかに興味が出てきて、しばらくやってなかったんですけどね。テレビに出なくなって暇になって、金も時間もあるからキャンプ道具を買ったんです。最初は年に1、2回ほど行っていました。
――そこからソロキャンプにハマったきっかけはなんだったんですか?
ヒロシ:キャンプって、暑い夏に5〜6人で行って大きいテントで一緒に寝る、みたいなイメージが強くて。だから、最初に買ったテントは6人用だったんです。で、後輩とか誘ってキャンプに行くんですけど、僕が全員分の食料買って、送り迎えして…「楽しいんだけど、これなんだろう?」って疑問が出てきちゃって。キャンプって一番熱量のある人が全部やっちゃうシステムだから、いつも俺が片付けてるなとか、テントが押し入れを占領してるなとか思っちゃうわけですよ。もちろん、楽しいんだけどね。
――大勢でのキャンプに、少し違和感が出てきたと。
ヒロシ:そんなときにアウトドアショップで、A4サイズの小さい折りたたみテーブルを見つけて。「キャンプ用の小さいテーブルってどういうことだ?」と思い調べるなかで「ソロキャンプ」というものを知り、「そうか、1人で行けばいいんだ!」と気がついたんですよ。
――テーブルからそんな気づきを得たんですね。
ヒロシ:さらに調べてみると、テントや焚き火台など1人用の道具がいっぱいあって、どんどんハマっていきました。実際に1人で行ってみたら、面倒くさいことが何もないんですよ。「あ、これだ!」って思いました。
――ソロキャンプだと、これまでと何が大きく違ったんですか?
ヒロシ:自分のことは自分でやればいいだけですから。大勢で行くと、食事のタイミングも合わせなきゃいけなくて、そういうの僕、嫌なんですよ。でも、1人だったら好きなタイミングで良いじゃないですか。これだったらいくらでも行けるなと思って、試しに秋にも行ってみたんです。そうしたら、なんで今まで夏の暑い時期に行ってたんだろうってくらい快適で。次は好奇心で冬にも行きたくなって。全シーズン行ってみたら、実は夏が一番オフシーズンだったことに気がついて、ますます面白くなって。これは年中できるな、と思ったんです。
――当時はまだ芸人さんがYouTubeで発信をするのは一般的ではなかったようですが、どうしてそちらの方向へ進まれたんでしょうか?
ヒロシ:皆さんもスマートフォンで食事の写真とか撮りますよね?それと同じ感覚で、焚き火とかの写真や動画をずっと撮ってたんです。これをつなげて動画にしたいという欲求にかられて、1回自分で編集をしてみました。YouTubeのことは知ってたから、それを自分の記録として上げてみようと思ったのがきっかけです。
――なるほど。
ヒロシ:それが楽しかったんですよね。キャンプって行く前の準備が楽しくて、行ってからも楽しいでしょ。それが、帰ってきてからは編集作業で楽しくなったんですよ。さらに動画をアップして反応があると、また楽しい。それを繰り返してたら、今みたいになっちゃったわけです。
――最初から視聴者のリアクションはあったんですか?
ヒロシ:最初はないです。僕が始めたときは、芸人がYouTubeをやるのはちょっとバカにされていたときだったし。落ちぶれたからやってるんだろう、みたいに見られていた部分もあると思います。でも、僕は単純に編集するのが楽しかったんですよ。自分で撮った動画を見て、何度も笑顔になっていました。
――確かに今、動画や番組でキャンプをしているヒロシさんは生き生きとされていて、バラエティー番組で拝見していたときのキャラクターとは違う印象です。テレビ時代には生きづらさみたいなものを感じていらっしゃったんですか?
ヒロシ:結局、僕はわがままなんでしょうね。人に「言え」って言われたことを言いたくないというか。「番組に合わせてネタの内容を変えてください」と言われても、自分で考えたネタをいじられたくないんです。それでスベろうが、ウケようが構わなくて。
――活動の場を変えることが、生きづらい世の中を生き抜くためのサバイバル術だったんですね。
ヒロシ:全部、嫌なところから逃げてるだけなんですよ。まわりは変えようがないから、嫌だったらもう離れるしかないんです。ずっとそれを繰り返してきたような気がします。保険会社から逃げて芸人になって、福岡から東京に逃げて、相方が辞めたからホストに逃げて。で、テレビにいざ出てみたら、向いてない、ダメだ、逃げようって。
――そのおかげで、居心地の良い場所を見つけられたわけで。
ヒロシ:自分の良いようにやりたいだけなんですけど。でも、そうしたくて芸人になってるんだから。テレビに出なくなってから、自分のテレビ局をもたなきゃダメだなって思ったんです。やっぱりたくさんの人が関わっている場所だと、自分の思いが曲げられたりしちゃうから。ちょっと形は違いますけど、YouTubeがそういう場所だってことですよね。だから、今は生き生きとして見えるんだと思うんです。
- 取材・文:末光京子
- 撮影:橋本千尋